元騎手で、昨年末に調教師に転身した左海誠二さんが、2023年8月20日に死去したことが分かりました。48歳でした。
死因は未公表です。
左海さんは、2020年12月にアランバローズで全日本2歳優駿を制し、ダートグレードGI級競走初制覇を果たしたばかりでした。
地方競馬で2176勝を挙げた名手であり、中央競馬でも3つの重賞を勝っています。
南関東の競馬界を代表する人気騎手の突然の訃報に、ファンや関係者からは悲しみの声が上がっています。
左海誠二さんの死因
【訃報】
船橋の左海誠二調教師(48歳)が急逝されたと千葉県調教師会がX(Twitter)で発表。「詳しくは後日ご報告いたします」とのこと。左海師は騎手として地方競馬通算2176勝。昨年11月末に騎手を引退し、今年5月に調教師として開業したばかり。#左海誠二https://t.co/ZhYDXcXoyt
— netkeiba (@netkeiba) August 20, 2023
現在、その死因については公表されていません。
SNS上では、心不全では?という投稿もありましたが、真偽不明です。
8/20死因は急性心筋梗塞だったことが発表されました。
左海誠二さんの経歴と功績
左海誠二さんは、1975年5月4日に長崎県西彼杵郡琴海町(現・長崎市)で生まれました。
叔父の北川亮厩舎に所属して1993年に騎手デビューしました。そ
の後、同師の逝去により岡林光浩厩舎所属になりました。
1994年には全日本新人王争覇戦で2着に入り、1998年にはアローセプテンバーでゴールドカップを制して南関東重賞初勝利を挙げました。
2000年には同馬で東京シティ盃とグランドチャンピオン2000を勝ち、南関東G1初制覇を果たしました。
左海さんは、地方競馬だけでなく中央競馬でも活躍しました。
2002年にはニシノハナグルマでフローラステークスを勝って中央競馬初勝利を重賞で飾りました。
さらに同年には自厩舎のヒミツヘイキでユニコーンステークスを制しました。
2003年にはイルバチオでアイビスサマーダッシュも勝ちました。
中央競馬では通算9勝を挙げましたが、そのうち3勝が重賞でした。
左海さんは、地方競馬では2176勝を挙げるなど、南関東のトップジョッキーとして活躍しました。
2009年には自身初の年間100勝を達成しました。
2013年にはインサイドザパークで東京ダービーを初制覇しました。
2014年から2019年までは千葉県騎手会会長も務めました。
2020年8月20日にはトモノクリスタルで地方競馬通算2000勝目を達成しました。
左海さんは、2020年11月30日の船橋競馬をもって騎手を引退しました。
引退前の最後の大舞台となったのが、2020年12月16日の全日本2歳優駿でした。
左海さんはアランバローズに騎乗し、見事に優勝しました。
これが左海さんのダートグレードGI級競走初制覇となりました。デビュー27年目での快挙でした。
左海さんは、同年12月1日付で調教師免許が交付され、2023年5月24日付けで厩舎を開業しました。
【死因】元騎手の左海誠二さんが死去に関する世間の声
- ご冥福をお祈りします。
- まだ開業してこれからという時にとても残念です。 心よりご冥福をお祈り申し上げます。
- これからだってときに… 左海調教師ご冥福をお祈りします
【死因】元騎手の左海誠二さんが死去!48歳で亡くなった名騎手の最期について【まとめ】
左海誠二さんは、地方競馬で2176勝を挙げるなど、南関東の名手として活躍しました。
中央競馬でも3つの重賞を制しました。
2020年12月にはアランバローズで全日本2歳優駿を制し、ダートグレードGI級競走初制覇を果たしました。
騎手引退後は調教師に転身しましたが、2023年8月20日に死去しました。
48歳という若さでした。競馬界を代表する人気騎手の突然の訃報に、多くの人々が悼む声を寄せています。
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