吉本新喜劇の座員で、女形としても活躍した桑原和男さん(くわばら・かずお=本名・九原一三、くはら・かずみ)が10日、神戸市内の病院で亡くなったことが分かった。
87歳だった。
吉本興業が同日、発表した。
この記事では、桑原和男さんの死因について解説する。
人気キャラクター「和子ばあちゃん」を演じる
【訃報】吉本新喜劇座員・桑原和男さん、老衰のため死去 87歳https://t.co/5TUhNDF6x2
吉本興業は10日、吉本新喜劇の桑原和男さんが同日、老衰のため神戸市内の病院で亡くなったと発表した。87歳だった。通夜は11日、葬儀告別式は12日に近親者で執り行う予定。 pic.twitter.com/6KD9ufVf22
— ライブドアニュース (@livedoornews) August 10, 2023
桑原さんは、1936年2月23日に福岡県小倉市(現北九州市)に生まれた。
高校卒業後、教師を志し、福岡教育大を受験したのち、大阪で夢路いとし・喜味こいしに弟子入りし、1955年に新芸座に入った。
翌年に秋田實が立ち上げた上方演芸株式会社発足と同時に漫才師となり、「原こちら」の芸名で漫才の舞台に立った。
1961年に吉本新喜劇の前身「吉本ヴァラエティ」に入団し、1970年代に座長に抜擢された。
1989年の「吉本新喜劇やめよッカナ? キャンペーン」ではベテランとして残留し、新喜劇の復活を支えた。
1992年には「上方お笑い大賞」金賞を受賞した。
座長時代までは普通の好青年役を多く務めたが、その後は小柄でやさしい顔立ちであることから、母親役やおばあさん役といったいわゆる女形「桑原和子」を務めるようになった。
特に、「和子ばあちゃん」という愛称で親しまれたキャラクターは、新喜劇ファンならずとも関西ではお馴染みのものだった。
代表的なギャグは、「ごめんください! (どなたですか? …)(お入りください)ありがとう」や、垂れ乳を取り出し自分で揉みだす一人芝居のほか、ツィゴイネルワイゼンのBGMに合わせて「神様、神様~! 」と一人しゃべりを始めるものなどがあった。
体調不良から舞台復帰 最後の舞台は2020年10月
2000年7月に急性心筋梗塞で手術し入院したが、静養を経て同年12月に舞台復帰を果たした。
その後も体調に配慮しながら活動を続け、2018年と2019年には「コヤブソニック」、2019年3月には「60周年だよ! よしもと新喜劇」に出演した。
2020年10月の「よしもと大笑い祭り寄席」が最後の舞台となった。
最近では、2022年11月になんばグランド花月に来場し、車いすで新喜劇を観覧した。
吉本興業は「皆様には、故人生前に賜りましたご厚誼に深く感謝しますとともに、謹んでお知らせ申し上げます。
なお、葬儀告別式の場所、自宅住所、喪主は非公表とさせていただきます」と伝えている。
死因は老衰だった。
お笑い界の先輩や後輩から追悼の声
桑原さんの訃報を受けて、お笑い界の先輩や後輩から追悼の声が相次いだ。
吉本新喜劇の座長である木村進さんは、「桑原さんは私が新喜劇に入った時からずっと一緒でした。
座長時代は私が一番下っ端だったので、厳しく指導してくれましたが、それも愛情だったと思います。
桑原さんの女形は本当に素晴らしくて、見ているだけで笑えました。和子ばあちゃんは新喜劇の名物キャラクターです。
桑原さんの死は新喜劇にとって大きな損失です。心からご冥福をお祈りします」とコメントした。
吉本新喜劇の座員である小籔千豊さんは、「桑原さんは私が新喜劇に入ってからずっと尊敬していました。
桑原さんの女形は本当に美しくて、芸術的でした。桑原さんのギャグはどれも名作で、私も真似したことがあります。
桑原さんは新喜劇の歴史を作った人です。桑原さんの死は私にとってもショックです。
心からご冥福をお祈りします」とコメントした。
吉本新喜劇の座員である川畑泰史さんは、「桑原さんは私が新喜劇に入ってからずっと憧れていました。桑原さんの女形は本当に可愛くて、愛嬌がありました。
桑原さんのギャグはどれも面白くて、私も勉強させてもらいました。
桑原さんは新喜劇の伝説です。桑原さんの死は私にとっても悲しいです。心からご冥福をお祈りします」とコメントした。
桑原和男さんが死んだ!吉本新喜劇一筋の87歳の生涯とその功績について【まとめ】
吉本新喜劇の桑原和男さんが10日、老衰で死去したことが分かった。87歳だった。
桑原さんは、女形としても活躍し、「和子ばあちゃん」という愛称で親しまれたキャラクターを演じた。
桑原さんは、2000年に急性心筋梗塞で手術し入院したが、舞台復帰を果たし、2020年10月まで活動を続けた
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