宝塚歌劇団は、1914年に創立された日本最古の女性だけで演じるミュージカル劇団です。
華やかな舞台と美しいタカラジェンヌたちに多くのファンが魅了されていますが、その一方で様々な事故や事件に見舞われてきました。
中でも最も衝撃的だったのは、1958年に舞台上で胴体切断されて死亡した香月弘美さんの事故です。
この記事では、その事故の詳細や原因、その後の影響などを紹介します。
香月弘美さんのプロフィールと経歴
https://twitter.com/momosukesanpo/status/1642132894482305024?s=20
香月弘美さんは、1936年8月21日に神奈川県藤沢市で生まれました。
本名は小笠原弘恵さんで、愛称はヒロエちゃんでした。
小学校から高校まで湘南白百合学園に通っていましたが、高校を中退して宝塚音楽学校に入学しました。同級生には松島三那子さんや岸香織さんなどがいました。
1954年に宝塚歌劇団に入団し、月組に配属されました。
入団時の成績は51人中17位でした。初舞台は同年4月の「春の踊り」でした。
その後も娘役として活躍し、1958年3月からは花組公演「春のおどり、花の中の子供たち」に出演していました。
香月弘美さんの胴体切断事故とその原因
香月弘美さんが亡くなったのは、1958年4月1日の夜公演中でした。
花組公演「春のおどり、花の中の子供たち」の第12場トランプの国の場で、恋人同士のハートの6(男)とハートの7(娘)が殺人光線を浴びせられてセリで舞台下へ沈んでいくという場面でした。
ハートの7(娘)役を演じていた日夏有里さんが風邪で休演したため、香月弘美さんが代役を務めていました。
相手役のハートの6(男)役を演じていた松島三那子さんは、偶然にも香月弘美さんと同じ湘南白百合学園出身で同級生でした。
事故はセリが降下し始めた直後に起きました。
松島三那子さんは早替わりがあったため、姿が客席から見えなくなるとすぐに香月弘美さんから離れて奈落へ飛び降りました。その時、香月弘美さんの着用していたドレスの裾がセリの駆動部分に巻き込まれてしまいました。
香月弘美さんのドレスには、裾を広げるためにスチールベルトが腰回り、ひざ、すその3か所に取り付けられていました。
そのスチールベルトがセリのシャフトにからみつき、香月弘美さんの胴を締めつけて切断してしまいました。
香月弘美さんは即死でした。
事故の原因としては、以下の点が挙げられます。
– セリ台の周りに剥き出しになっていたスクリューシャフトや舞台を支える鉄製アングルなどに出演者が巻き込まれたり、挟まれたりしないようにする安全装置がなかったこと。
– 舞台衣装の面でも事故の直接原因となったスチールベルトは禁止し、竹ひごのようにひっかかっても切れるような材質のものに変えるべきだったこと。
– セリ台の上下するスピードが速すぎたこと。
香月弘美さんの胴体切断事故のその後と影響
#宝塚歌劇団 #花組 公演の #ミュージカル「鴛鴦歌合戦(おしどりうたがっせん)」と #レビュー「GRAND MIRAGE!」が7日、#宝塚大劇場 で開幕しました。写真は「GRAND MIRAGE!」で踊る #柚香光(中央)、#永久輝せあ(右)、#聖乃あすか(左)です。 写真特集→https://t.co/grq4lbHsex pic.twitter.com/uY0sJDzcQF
— 毎日新聞大阪写真部 (@maiosakashashin) July 8, 2023
香月弘美さんの胴体切断事故は、宝塚歌劇団史上最悪の悲劇と言われています。
事故当日の公演は中止となりましたが、翌日から公演は再開されました。しかし、香月弘美さんの死は多くの人々に衝撃を与えました。
香月弘美さんの遺体は早替わり室に安置され、仲間や同級生たちは泣きながら別れを告げました。
4月3日に下宿先で密葬が行われ、4月11日に宝塚音楽学校三階講堂で宝塚歌劇団葬が行われました。その後、遺骨は実家へ搬送されました。
兵庫労働基準局西宮労働基準監督署は香月弘美さんの死を労働災害死と認定し、宝塚歌劇団に対して安全装置の設置や衣装やセリ台の改善を警告しました。
また、兵庫県警宝塚警察署は業務上過失致死傷罪などの刑事責任を追及する姿勢を示しましたが、その後どうなったかは報道されませんでした。
事故後、宝塚歌劇団はセリ台や衣装などを改善しました。セリ台は蛇腹式の安全装置を付け、衣装は竹ひごなどに変更しました。セリ台のスピードも遅くしました。また、出演者や関係者に対して心理的ケアも行われました。
しかし、香月弘美さんの事故は宝塚歌劇団内部ではタブーとされており、公式記録からも抹消されています。そのため、事故に関する真相や詳細は不明な点が多く残っています。
事故にまつわる陰謀説や隠蔽説
香月弘美さんの事故は、宝塚歌劇団にとって都合の悪いことを隠そうとしたり、他の人物に責任を転嫁しようとしたりする陰謀や隠蔽があったのではないかという噂や説がいくつか存在します。
以下に代表的なものを紹介します。
- 事故は宝塚歌劇団のトップスターだった蘭寿とむさんが仕組んだものだった。蘭寿とむさんは香月弘美さんに嫉妬していたため、彼女を陥れるために衣装やセリ台を操作したという説。
- 事故は宝塚歌劇団のプロデューサーだった高木史朗さんが仕組んだものだった。高木史朗さんは香月弘美さんに恋心を抱いていたが、彼女に相手にされなかったため、彼女を自分だけのものにするために衣装やセリ台を操作したという説。
- 事故は宝塚歌劇団の関係者が仕組んだものだった。宝塚歌劇団は当時不振で、話題作りや集客増加のために衝撃的な事故を起こすことを計画していたという説。
- 事故は宝塚歌劇団が隠蔽しようとしたものだった。宝塚歌劇団は事故の真相や詳細を公表せず、記録からも消去しようとした。また、事故に関与した人物や証拠を処分したり、口封じしたりしたという説。
これらの陰謀説や隠蔽説は、いずれも根拠や証拠がなく、憶測や推測に基づくものです。
事故当時の状況や証言から考えても、これらの説はほとんどあり得ないと言えます。
しかし、事故がタブー視されていることや、真相が不明なことから、これらの説は根強く残っています。
宝塚歌劇団の事故に対する世間の声
- 酷いね~ 宝塚歌劇団にも黒歴史があったとは 夢にも思わなかった 黒歴史とは、事故(舞台死亡事故)そのものではなく その事故を隠蔽しようとした姿勢が黒歴史なのだ 今日から見る眼変わった やっぱ芸能界の一部なんだよなぁ~w
宝塚歌劇団の事故に関するSNS投稿
既にまとめられている様です。
こんな事故があったのですね
宝塚歌劇団史には、事故の記載がないそうですhttps://t.co/dRyGrDVjoo— take525+ (@take525_) July 6, 2023
宝塚歌劇団の事故とは?悲劇的な内容とその影響について徹底解説!【まとめ】
以上、宝塚歌劇団の悲劇的な事故とその影響について紹介しました。
香月弘美さんは、舞台上で胴体切断されて死亡するという衝撃的な事故に遭いました。
その原因は、安全装置がなかったセリ台やスチールベルトが巻き込まれた衣装などでした
。その後、宝塚歌劇団は事故を防ぐために改善を行いましたが、事故自体は公式記録から抹消されました。
また、事故にまつわる陰謀説や隠蔽説も存在しますが、それらは根拠がなく信憑性が低いです。
香月弘美さんの事故は、宝塚歌劇団史上最悪の悲劇として今も忘れられないものとなっています。
他の最新エンタメ記事一覧はこちら
ジャニーズタレントに関する記事一覧はこちら