ピンクレディーは1970年代に斬新な振り付けと衣装を伴ったユニークな、女性2人で構成されたアイドルです。
当時は爆発的なブームまで巻き起こしたアイドルで、コマーシャルソングも歌っていましたね。
本記事では、ピンクレディーの現在と、ミーとケイの不仲説は本当なのかについて検証していきます。
・ピンクレディのプロフィール
・ピンクレディの現在
・ミーとケイの不仲説は本当
・ピンクレディに関してSNSでの反応
ピンクレディのプロフィール
#ピンクレディー 復活! #日本レコード大賞 変わらず美しいですね。ダンスもキレキレですね。スゴい❗ pic.twitter.com/gJg3CqDgFK
— saikan (@hiropart218) December 30, 2017
名前 | マスダ ケイコ |
愛称 | ケイ |
生年月日 | 1957/9/2 |
出身地 | 静岡 |
星座 | おとめ座 |
血液型 | O型 |
名前 | 根本美鶴代 |
愛称 | ミー |
生年月日 | 1958年03月09日 |
出身地 |
静岡県静岡市葵区
|
星座 | うお座 |
血液型 | AB型 |
1971年にミーこと、根本美鶴代さんが在学する静岡市立末広中学校に、同じくピンクレディのもう一人であるケイこと、増田啓子さんが転校してきました。
根本美鶴代さんと増田啓子さんは、演劇部に入り2人が知り合うことになります。
1973年にヤマハ音楽が主催しているオーディションに、根本美鶴代さんと増田啓子さんは合格し、授業料が免除される特待生にも合格をしました。
講師の勧めで当時人気のあったキャンディーズにあやかって、クッキーというフォークソング系デュオを結成。
1976年にテレビ番組『スター誕生!』で、デビューを果たしました。
テレビ番組『スター誕生!』に出演したときは2人おそろいの、サロペットを着用し素朴な雰囲気で登場をしています。
当時無名に近かったフォークグループ、ピーマンの「部屋を出て下さい」を歌うことで、逆に注目されたのです。
作曲家都倉俊一さんは、カクテルのピンク・レディーに因んで『ピンク・レディー』と命名したので、『ピンク・レイディーズ』にはしなかったようです。
ピンクレディのデビュー当時と言えば、キワモノ的な見方もされていました。
ピンクレディは大胆に太ももを開いたりするセクシーなダンスが多いので、デビュー当初は成人向け番組に出演することも多かったのです。
とはいえ、当時の子供たちも振り付けを熱心に覚え、真似をし始めました。
このことがキッカケで、山本リンダに代表される、かつてのセクシー系歌手とは対照的に老若男女問わず、幅広い人気を得る事が出来たのです。
ピンクレディはレコードが大ヒットするだけではなく、人気が高まるにつれて衣料品や文房具、食器、自転車や食品など幅広い業種の商品に、2人の姿がプリントされたキャラクターグッズが、販売されるようになりました。
ピンクレディは、只のアイドルではなく、経済効果を派生させる存在となったのです。
ピンクレディの解散は1980年9月1日で、2人そろって解散を発表したのです。
解散を発表から7か月後に、後楽園球場で解散コンサートを開催します。
コンサート当日は、みぞれ交じりの冷雨が降り注ぐ悪天候だったので、空席が目立っていて絶頂期の面影はほとんどありませんでした。
ピックレディ所属の事務所は、解散直後に倒産しています。
ピンクレディの現在
https://twitter.com/akanopanda3/status/974286241481998336
ピンクレディー解散後のミーこと、根本美鶴代さんは、『未唯mie』の名義で活動をしています。
外国のカバーソングをロックで披露するなど、歌手として活動を開始しているのです。
根本美鶴代さんは還暦を超えていますが、見た目も変わらず美しいですね。
さらに、当時の歌唱力も、素のままというのはすごいことと思います。
ピンクレディのもう一人のメンバーでケイこと、増田啓子さんは歌手として活動をする傍ら「増田恵子」と改名し、女優としても活動をしています。
増田啓子さんのほうは、メディアでも見かけることが多かったので、知っている人もいるかもしれませんね。
現在、増田啓子さんは甲状腺の病気の一つであるバセドウ病という病気に、罹られていたことがあったのです。
バセドウ病になる前から、何かと病気になっていたようです。
ミーとケイの不仲説は本当
さて去ること3月9日は、76年デビューした、日本国内でブームとなった、振付歌謡ポップのデュオ、ピンクレディのメンバーであり、女優でもある未唯mie こと根本美鶴代氏の64歳のHBD!!!#Nowplaying ペッパー警部 – ピンク・レディー (TWIN BEST Pink Lady [Disc 1]) pic.twitter.com/TYkLHll1sD
— Rock Pistol Neo (@maskedRiderKool) March 10, 2022
ミーとケイの不仲説は本当なのかといえば、ほぼデマではないでしょうか。
人気が低迷したピンクレディではありましたが、仮にも大人気アイドルだったので、解散をするとなれば大きなニュースとして取り上げるでしょう。
ワイドショーでも連日のように、トップニュースで取り上げていたほどです。
当時の人気歌番組の多くは、「さよならピンク・レディー特集」を組んでいました。
ただ、一部の週刊誌ではピンクレディにたいする、バッシングがひどかったらしいです。
人気絶頂で引退した同時期のアイドルグループの「キャンディーズ」と比べ、人気が落ちるところまで落ちて解散するピンクレディを、揶揄する記事もありました。
全米進出失敗や増田啓子さんと本美鶴代さんの野口五郎酸との熱愛をきっかけ西田事務所について、面白おかしく書き立てるメディアもあったそうです。
そんな中で、浮上したのがミーとケイの不仲説ということです。
しかし、増田啓子さんと本美鶴代さんは、決して仲が悪いということはなく、逆に仲が良かったといえます。
ピンクレディの現在に関してSNSでの反応
高校野球の吹奏楽部の応援歌、今もサウスポーとか流れてるのねぇ。高校生たちピンクレディなんて知ってるんかな
— Maggie (@Maggie3_3meow) March 20, 2023
ピンクレディの現在に関して、SNSでの反応は『懐かしい』という反応がありました。
高校野球の吹奏楽部の応援歌、今もサウスポーが流れていることに関して、今の高校生はピンクレディを知っているのかという疑問の意見もありました。
しかし、ピンクレディは解散しても世代を超えて、ミュージックだけは語り継がれていくのでしょう。
ピンクレディの現在は?ミーとケイの不仲説は本当か検証!【まとめ】
ピンクレディは1976年にテレビ番組『スター誕生!』でデビューを果たし、老若男女問わず幅広い人に人気を集めました。
アイドルだけに終わらず、衣料品や文房具、食器、自転車や食品など、ピンクレディのキャラクターがプリントされたこともありました。
1980年に、ピンクレディは解散を発表し、その7か月後に解散コンサートを開いたのです。
コンサートには人気絶頂期のように、満席にはならず空席が目立っていました。
ピンクレディ解散はしたものの、1984年には再結成し再び解散というのを、最初の解散を含めて5回行っています。
ただ、5回目の解散発表時には、解散をやめるということになったみたいですね。
ピンクレディの現在は、それぞれ違う道を歩んでいますが、心は一つという感じらしいです。
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