森忠仁さんは元プロ野球選手で、現在は日本プロ野球選手会の事務局長を務めています。
阪神タイガースにドラフト外で入団したものの、一軍出場はなく6年で引退しました。
その後は証券会社や保険代理店で働いていましたが、先代の事務局長から誘われて選手会に入りました。
選手会では最低年俸の引き上げやオフシーズンの確立など、選手の権利向上に尽力しています。
この記事では、森忠仁さんの経歴と職歴について紹介します。
森忠仁さんのプロフィール
– 名前:森忠仁(もり ただひと)
– 生年月日:1962年6月2日
– 出身地:千葉県千葉市幸町
– ポジション:外野手
– 代表作品:日本プロ野球選手会事務局長
森忠仁さんのプロ野球時代
森忠仁さんは千葉商業高校から1980年にドラフト外で阪神タイガースに入団しました。
投手として入団しましたが、肩を壊したこともあり外野手に転向しました。
しかし、一軍出場はなく、ウエスタンリーグでは270試合に出場して打率.215、12本塁打、48打点という成績でした。1986年に戦力外通告を受けて引退しました。
森忠仁さんのプロ引退後の職歴
森忠仁さんはプロ引退後、地元でお世話になっていた人から紹介されて小さな証券会社に入りました。
そこでは「場立ち」という仕事をしていましたが、10年ほどで退職しました。その後は保険代理店に転職し、営業職などを務めました。
保険代理店に勤めていた頃に、先代の日本プロ野球選手会事務局長の松原徹さんから声をかけられました。
松原さんはプロ野球界出身で一般企業社会経験者を探していたそうです。
数年後の2000年に松原さんが事務局長に就任し、再び誘われて選手会に入りました。
森忠仁さんの日本プロ野球選手会事務局長としての活動
森忠仁さんは2000年から日本プロ野球選手会で働き始めましたが、2015年に松原さんが亡くなったことで事務局長に就任しました。
森さんは選手会の事務局長として、選手の権利向上に力を入れています。
具体的には、最低年俸の引き上げ、統一契約書の見直し、オフシーズンの確立、球場の安全対策などを推進しています。
特に最近では、ロッテが今年の契約更改交渉を一律25%ダウンから始めると説明していることに選手会が抗議文を送った問題や、日本ハムが西川らをノンテンダーとして自由契約としたこと、巨人が大量の選手を育成契約とする方針を示したことなどに対して、強く異議を唱えています。
森さんは「“選手と球団は対等の立場”という精神からかけ離れた現状は看過できない」と訴えており、「制度に問題があるなら変えないといけない」と話しています。
森忠仁さんの経歴と職歴について【まとめ】
– 森忠仁さんは元プロ野球選手で、阪神タイガースにドラフト外で入団したが一軍出場はなく6年で引退した
– 森忠仁さんはプロ引退後、証券会社や保険代理店で働いていたが、先代の事務局長から誘われて選手会に入った
– 森忠仁さんは現在は日本プロ野球選手会の事務局長を務めており、選手の権利向上に尽力している
森忠仁さんはプロ野球時代は目立った活躍はできませんでしたが、引退後は様々な社会経験を積んできました。その経験を生かして、現在はプロ野球界の発展に貢献しています。森さんの経歴や職歴について知ることで、彼の人間性や仕事ぶりに対する理解が深まるかもしれません。
しかし、それ以上に大切なことは彼が行っている活動を応援することだと思います。
森さんは「選手会は選手のためにある」と言っていますが、私たちも彼のようにプロ野球界のためになることを考えていきたいですね。
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