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【経歴】鳥取二三子さんの生涯、高円宮妃久子さまの母としての功績などを解説

【生い立ち】鳥取二三子さんの生涯、高円宮妃久子さまの母としての功績などを解説

高円宮妃久子さまの母、鳥取二三子さんが2023年7月18日に老衰で亡くなられました。

96歳でした。鳥取さんは、商社マンと結婚し、日仏交流に貢献されたほか、長女の久子さまが高円宮さまと結婚されて皇室入りされたことでも知られています。

この記事では、鳥取さんの経歴について、以下の点を詳しく解説します。

【経歴】鳥取二三子さんの出生と結婚

鳥取二三子さんは、本名を鈴木二三子(すずき・ふみこ)といい、1927年1月15日に東京都で生まれました。

父は鈴木正夫氏で、母は鈴木ヒサ氏です。兄弟は兄が一人いましたが、早世しています。

鳥取さんは1949年に東京女子大学文学部英文科を卒業しました。

同年に商社マンだった鳥取滋治郎氏と結婚しました。夫の滋治郎氏は、後に日本貿易振興会(ジェトロ)理事長や日本貿易会会頭などを務めました。

鳥取さんは夫の仕事に伴ってフランスやイギリスなどに滞在しました。

鳥取さんには二人の娘がおり、長女が高円宮妃久子さまで、次女が千家典子さんです。

【経歴】鳥取二三子さんの日仏交流活動と受賞歴

鳥取さんは、フランス語を話せることから、日仏交流団体「フランス語婦人会」の会長を務めました。

同会は、フランス語を学ぶ日本人女性やフランス人女性との交流を通じて、両国の文化や生活を理解し合うことを目的としています。

鳥取さんは、同会の会長として、フランス大使館や在日フランス商工会議所などと協力して、様々なイベントや講演会を開催しました。

また、フランスの教育や文化に関心のある日本人に対して、フランス政府が提供する奨学金や研修制度などの情報も紹介しました。

鳥取さんは、長年にわたり日仏交流に貢献されたことに対して、2013年にフランス政府から最高勲章レジオン・ドヌール勲章(オフィシエ)を授与されました。

これは、フランス国家のために顕著な功績を挙げた者に贈られる勲章で、外国人が受けることは非常に稀です。

鳥取さんは、この受賞に際して、「日仏関係の発展に微力ながら貢献できたことを光栄に思います」と述べられました。

【経歴】鳥取二三子さん皇室との関係と晩年

鳥取さんは、1984年に長女の久子さまが高円宮さまと結婚されて皇室入りされたことで、皇室との関係が深まりました。

鳥取さんは、久子さまが皇室入りされる前に高円宮さまとお会いした際に、「雅子さん(久子さま)は私たち夫婦の一番の宝物です。どうかよろしくお願いします」とお話ししたそうです。

鳥取さんは、久子さまが皇室入りされた後も、高円宮さまや天皇陛下、皇后さまとの交流を続けられました。

特に、高円宮さまが2002年に崩御された後は、久子さまの支えとなり、孫の承子さまや絢子さまとも親しくされました。

鳥取さんは、晩年は東京都内の施設に入居されていましたが、健康状態は比較的良好でした 。

久子さまは度々施設を訪ねてお話ししたり、一緒にお食事をしたりされていました。

鳥取さんは、2023年7月17日にも久子さまと面会されたそうです。

しかし、翌日の18日に老衰で亡くなられました。

最期は長女の承子さまと三女の守谷絢子さん夫妻が見守られました。

【経歴】鳥取二三子さんに対する世間の声

  • 久子様のお母様である鳥取二三子さんが18日に逝去されたというニュース。ご冥福をお祈り申し上げます。 久子様と承子様は服喪期間に入られ公務や海外親善をお取り止めになりました。 フランス政府から勲章も贈られている二三子氏。 FNNの上品なご家族のお写真もとても素敵ですね。

【経歴】鳥取二三子さんに関するSNS投稿

多くの方がお悔みの言葉を残しています。

【経歴】鳥取二三子さんの生涯、高円宮妃久子さまの母としての功績などを解説【まとめ】

鳥取二三子さんは、高円宮妃久子さまの母であり、商社マンの妻として日仏交流に尽力された方です。

フランス語婦人会の会長を務めたほか、フランス政府から最高勲章を授与されるなど、両国の友好親善に貢献されました。

また、長女の久子さまが皇室入りされた後も、皇室との交流を続けられました。2023年7月18日に老衰で亡くなられました。

96歳でした。

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