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徳川家康の死因は胃がん?揚げ物や関ヶ原での戦死説について徹底解説!

徳川家康の死因は胃がん?揚げ物や関ヶ原での戦死説について徹底解説!

江戸幕府を開いて日本全国を統一した徳川家康さん。

その死因には様々な説があります。

揚げ物を食べ過ぎたことや関ヶ原の戦いで死亡したことなどが言われていますが、真相はどうなのでしょうか?

本記事では、史料や科学的な分析に基づいて、家康さんの死因について考察します。

【徳川家康の死因①】揚げ物説

徳川家康さんの死因として語られる最も有名な説は、揚げ物(天ぷら)を食べ過ぎたことといわれています。

家康さんの死因といえばこの説が広く唱えられており、家康さんが天ぷらで亡くなったと耳にする方も多いのではないでしょうか。

しかし、この説は信ぴょう性が低いといわれています。その理由としては、

  • 家康さんが天ぷらを食べたのは亡くなった元和2年(1616年)4月17日の3カ月も前だったことから、食中毒としては時間が掛かりすぎていること
  • 家康さんの死亡前の身体症状などから考えても、天ぷらによる食中毒が死因とは考えにくいこと

などが挙げられます。この説は史料にも記されておらず、後世に伝えられた俗説に過ぎない可能性が高いです。

【徳川家康の死因②】胃がん説

近年では科学的な観点から、徳川家康さんの死因は胃がんだったという説が最も有力視されています。

この説には、江戸幕府が編纂した歴史書『徳川実記』に記された家康さんの病状が重要な証拠になっています。

それによると家康さんの病状は、

  • どんどん痩せていき、吐血、黒色便がみられる
  • お腹に手で触って確認できる程の大きいしこりがある

というものでした。

これらの症状は胃がん患者に多くみられる症状であり、胃がんによって消化管の中で出血したり、胃壁に腫瘍ができたりすることを示しています。

また、家康さんは高齢になっても油ものを好んだことでも知られており、これも胃がんの発症リスクを高める要因だったかもしれません。

【徳川家康の死因③】関ヶ原で死亡説

徳川家康さんの死因として他に挙げられているのが、関ヶ原の戦いで死亡していたという説です。

この説には、影武者説や偽装死説などの諸説があること、関ヶ原の戦いで家康さんが石田三成さんの軍勢に攻撃された際に、銃弾や矢に当たって重傷を負ったこと、家康さんの遺体は火葬されておらず、埋葬された場所も不明であることが挙げられています。

などが挙げられます。

しかし、この説も史料や証拠に乏しく、信憑性に欠けると言われています。

家康さんが関ヶ原の戦いで死亡したとすれば、その後の政治や歴史に大きな影響を及ぼしたはずですが、そのような事実は見当たりません。

また、家康さんの影武者や偽装死の理由や目的も不明であり、合理的ではありません。

徳川家康の死因に対する世間の声

  • 長篠設楽原PA (下り)は徳川家康をめちゃくちゃいじっているご飯がある (徳川家康死因は鯛の天ぷらの食べ過ぎ。本当は胃がんという説も?)
  • 405年前の今日、徳川家康が亡くなりました。通説の鯛の天ぷらによる食中毒が死因ではなく、今では胃がん説が有力になっています。自作の薬でこれを治そうとも試してたり。病気に対しても天才ビビリストな健康オタク。これにより東照大権現の本地仏も薬師如来となっています。

徳川家康の死因に関するSNS投稿

けっこう有名な話だったんですね。

徳川家康の死因は胃がん?揚げ物や関ヶ原での戦死説について徹底解説!【まとめ】

徳川家康さんは江戸幕府を開いて日本全国を統一した偉大な人物です。

その死因には様々な説がありますが、最も有力なのは胃がんだったという説です。

史料や科学的な分析によって、家康さんの病状や死因について新たな知見が得られています。

徳川家康さんの死因は胃がんだったということを知って、より一層彼のことを敬意を持って思い出したいですね。

 

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