天下人となりながらも、家臣の裏切りによって本能寺で自害したとされる織田信長。
しかし、その死因には諸説あります。切腹説や焼死説などがあります。
本記事では、史料や科学的な分析に基づいて、信長の死因について考察します。
切腹説
本能寺の変で明智光秀に襲われた信長は、炎に包まれる前に殿中の一室で切腹したというのが最も有名な説です。
この説は、信長の家臣・太田牛一が書いた『信長公記』に記されています。
信長は光秀に自分の首を渡さないために切腹を選んだということです。
しかし、切腹だけではすぐには死ねません。介錯を受けたか、自分で喉をかき切ったとも推測されます。
また、信長の遺体は火に巻き込まれる前に家臣らによって焼かれたか、持ち去られたか、火葬されたかという説もあります。
しかし、遺体が見つからないことや、切腹した場所が不明であることなどから、切腹説も確実ではありません。
焼死説
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— 株式会社ゼンリン (@ZENRIN_official) June 23, 2023
近年では科学的な観点から、信長は切腹する前に一酸化炭素中毒や全身やけどによって死亡したという説も有力になっています。
一酸化炭素は物が燃える際に発生する有毒ガスです。
これを吸うと酸欠状態になり窒息してしまいます。本能寺の変では急激に炎が広がったとされています。
信長は一酸化炭素を吸って意識を失い絶命した可能性があります。
また、一酸化炭素中毒ではなくても、体に火がついて全身を焼き尽くす熱傷で死んだ可能性もあります。
東京理科大学が行った火災シミレーションでは、火をつけてから5分以内で炎が天井まで達し空間を埋め尽くしたということです。
信長さんが切腹しようとした時点で既に火が迫っていたとすれば、焼死する可能性は高いです。
その他の説
信長の死因としては他にも様々な説があります。例えば、
- 本能寺で戦った際に負った傷が致命傷だったという説
- 本能寺の地下に保管されていた火薬が爆発し爆死したという説
- 豊臣秀吉やイエズス会などの陰謀によって暗殺されたという説
- 本能寺の変は信長さんの偽装死であり、その後は別の場所で隠遁生活を送ったという説
などがあります。
しかし、これらの説は史料や証拠に乏しく、信憑性に欠けると言われています。
織田信長の死因は切腹か焼死か?本能寺の変での真実に関して徹底解説!【まとめ】
織田信長は本能寺の変で自害したとされますが、その死因には様々な説があります。
切腹説や焼死説は最も有力な説ですが、確実ではありません。
科学的な分析や史料の再検討によって、信長さんの死因について新たな発見があるかもしれません。
織田信長の死因は未だに謎に包まれています。
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