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多摩テックの跡地はどうなった?閉園した理由についても検証!

多摩テックは、かつて東京都日野市にあった遊園地で、多くの人が訪れていたようです。

多摩テックは本田技研工業株式会社の子会社が経営をしていましたが、2009年に営業を終了し閉鎖されたのです。

また、多摩テック跡地は明治大学が買収し、住宅地に隣接し手狭となった世田谷区八幡山の明治大学ラグビー部など、体育館の練習場や合宿所などを移設しました。

そんな多摩テック跡地はどうなったのかや、多摩テックが閉園してなくなった理由を検証していきます。

この記事でわかること

・多摩テックとは?
・多摩テックの跡地はどうなった?
・多摩テックが閉園してなくなった理由
・多摩テック跡地に関するSNSでの反応

多摩テックとは?

施設名 多摩テック
所在地
日本 東京都日野市程久保5丁目22-1
開業日 1961年10月1日
閉業日 2009年9月30日
施設所有者 モビリティランド
施設管理者
モビリティランド
営業時間
9時30分 – 17時30分

1961年にホンダ技研興業株式会社系列のモータースポーツセンターとして、多摩テックは開園されました。

元レーシングドライバーでオートバイ評論家の高橋国光さんが、初代所長として務めていました。

よみうりランドと同じように多摩丘陵の丘陵地を開発して、中腹に位置する遊園地で『モートピア』は所々にやや急勾配があります。

その斜面の勾配や高低差を生かした、ライド型アトラクションも置かれました。

また、高台には天然温泉『クア・ガーデン』などの施設を設け、駐車場やキャンプ場なども置かれたのです。

多摩テックに類似した遊園地は、奈良生駒市に『生駒テック』があり、埼玉県朝霞市に『朝霞テック』があります。

いずれも多摩テックと同じ時期に建設されましたが、生駒テックは1965年に閉鎖され、朝霞テックは1973年閉鎖されました。

ちなみに、生駒テックの跡地は生駒山麓公園になり、朝霞テック跡地はホンダ技術研究所・朝霞研究所となっています。

多摩テックが開業された当初は、、佐賀、高松、広島、名古屋、仙台など、日本全国60箇所に同じような施設を建設する計画だったようです。

同じように『テック』と言う名前の施設で『与那原テック』というのがありますが、これは東陽バスの経営でありホンダ技研の遊園地施設とは、何の関係もありません。

多摩テックの跡地はどうなった?

多摩テック跡地は明治大学が買収したようですが、色々な問題が浮上し再利用中止となったのです。

SNSでは、わざわざ現地に行って写真を撮影して投稿する人もいるようですが、2023年現在はどういう状況になっているかを紹介していきましょう。

多摩テック跡地は再利用の計画が中止されているので、廃墟と化しています。

廃墟と化していますが、事実上は私有地なので知基地内に勝手に入ることは許されません。

周囲は人けがないので、興味本位で足を踏み入れることは避けたほうが良いでしょう。

多摩テック跡地は廃墟と化していますが、その跡地には野生動物がすんでいるようです。

廃墟と化した多摩テック跡地に様子を見に行った人は、タヌキらしき動物が人の気配を感じて、威嚇してきたという体験談もあります。

多摩テック内には野生の動物が済ついているので、不用意に近づくのは危険です。

多摩テックが閉園してなくなった理由

多摩テックがなくなった理由として考えられるのが、事故が多かったからではないでしょうか。

1971年2月14日にゴーカートに乗っていた13歳の男子中学生が、首に巻いていた長さ1.5mのマフラーの端が、ゴーカートの走行中に車軸に巻き付いてしまい、マフラーが引っ張られ首が絞まって即死しています。

この事故の後にマフラーやスカーフなどの着用をしての遊具の利用は、規制され再発の防止をして同じような事故は起きなかったそうです。

2件目は『ぞうさん列車』の事故で、走行中に車両を移動しようとした小学生が転倒し負傷したということがありました。

これについて、多摩テック側は、責任がないとのことです。

『ぞうさん列車』で事故が起きたことを教訓に改良した、『ミニポッポ周遊列車』としてスタートさせましたが、またしても事故が起きてしまいました。

1984年に『ミニポッポ周遊列車』が駅に入る手前200mの急な下り坂で列車が、いったん停車してしまいます。

その後、フットブレーキをかけながらゆっくりと坂をおりていきましたが、途中でブレーキがかからなくなったのです。

ニュートラルの状態のまま加速鵜をして、時速30キロの速度で機関車部分と客車6輌のうち、2輌が横転し後ろの4輪も脱線した衝撃で運転手と乗客多数が、負傷してしまったのです。

負傷者は27名となり、その後の警察の調べではブレーキ整備と運転手の操作ミスの、2つがかさなった事故と推定されました。

1996年1月4日に『大観覧車トップキャビン』で従業員が乗客の残存確認を怠って、閉園時間に運転を停止して帰宅してしまったのです。

搭乗中だった夫婦と女子中学生4名の計6名の2グループが、それぞれゴンドラの中に14時間も閉じ込められてしまいました。

翌朝に乗客の声に気が付いた従業員に、救出されるというアクシデントがあったのです。

この伊事故で施設側の刑事責任は、問われていないようです。

1997年11月に起きた事故は、『でんでん虫』での事故で、乗客が落とした靴を拾いに行った20歳の女性従業員が、ステーションに登った時に発進した車両と衝突をしてしまいました。

衝突後にステーションから、約1.1m下の地面まで転落し、肋骨を4本折るという重傷を負いました。

ただ、遊園地の事故は多数あると思われるので、これだけが多摩テックがなくなった理由にはならないでしょう。

2000年代にUSJなどやディズニーシーなど、大型テーマパークが作られたことで来園者が激減したことも理由の一つと言えます。

さらに、追い打ちをかけるように2007年に金融危機があったのも、大きな理由と言えるでしょう。

多摩テック跡地に関するSNSでの反応

多摩テック跡地に関するSNSでの反応ですが、再利用されず広大な森林になっていて驚愕したといういけんがあります。

たしかに、かつては人気を誇っていて人の出入りも激しかったはずの遊園地が、再利用されず広大な森林と化していたらビックリしますよね。

明治大学が買収しキャンパスを建設する予定でしたが、建設費が高騰したり市と揉めたりして、放置状態になっています。

多摩テックの跡地はどうなった?再開発が進んでいないのはどうしてか検証!【まとめ】

多摩テックはかつて東京都日野市にあった遊園地で、人気があったようです。

2000年にはUSJなどや、ディズニーシーなどの大型テーマパークに客を取られ、来園者が激減したことで閉園しました。

色々な事故はあったものの、SNSでは『良い思い出』と言う意見も、そこそこありました。

グーグルマップの評価を見ると、『温泉だけは運営してほしかった』と言う意見もありました。

温泉を掘り当ててすぐに、閉園してしまったようですが、方向転換をして遊園地から温泉旅館などを、運営すれば良かったかもしれませんね。

ただ、残念としか言えません。

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